- ふじょ‐し【婦女子】
- ①おんな。婦人。婦女。
- ②おんなと子ども。women and children
- ふじよしだ【富士▽吉田】
- 〈市〉山梨県南東部、富士山北麓(ほくろく)の市。浅間(せんげん)神社の門前町としてさかえ、富士登山・富士五湖観光の中心地。人口5万5801(1994)。
- ふ‐しょぞん【不所存】(名・形動)
- 考えの正しくないこと・さま。思慮のないこと・さま。不心得。indiscretion
- ふじょ‐りょう【扶助料】
- ①官吏などの遺族に支給される年金。aid allowance
- ②暮らしを助けるために与えられる金銭。subsidy
- ふじレビオ【富士レビオ(株)】
- 化学工業。医薬品会社。昭和25年(1950)設立。本社は東京都新宿区西新宿。
- プシロフィトン【Psilophyton(ラテン)】
- シダ植物の起源と考えられている化石植物。シルル紀からデボン紀に繁茂した初期陸上植物で、高さ1mほどの主茎をもつが、根と葉はまだ形成されていない。psilophyte
- ふじわら【▼藤原】
- 〈町〉三重県北部、岐阜・滋賀県境の町。鈴鹿(すずか)山脈と養老(ようろう)山地の間にあり、稲作のほか石灰石採掘・セメント工業がさかん。人口7863(1994)。
- ふじわら‐きょう【▼藤原京】
- 古代の都の一つ。持統(じとう)8年(694)から和銅(わどう)3年(710)まで持統・文武(もんむ)・元明(げんめい)天皇の3代にわたり都が置かれた。現在の奈良県橿原(かしはら)市に位置。
- ふじわら‐ぎんじろう【▼藤原銀次郎】
- (1869-1960)実業家。長野県生まれ。慶応義塾卒。三井財閥の有力者で、旧王子製紙を築く。また、私財を投じ藤原工業大(慶大工学部の前身)を設立。第2次大戦中、商工相・軍需相を歴任。
- ふじわら‐さくへい【▼藤原咲平】
- (1884-1950)気象学者。長野県生まれ。中央気象台長。大気の運動における渦度(うずど)の重要性を強調。
- ふじわら‐し【▼藤原氏】
- 大化の改新で功をたてた中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、死にさいし天智(てんじ)天皇から賜った姓氏。姓(かばね)は朝臣(あそん)。律令(りつりょう)国家の官僚として発展、また天皇と姻戚(いんせき)関係を結び、9〜10世紀以後、一氏専制の体制を確立。藤氏(とうし)。
- ふじわら‐しけ【▼藤原四家】
- 奈良前期、藤原不比等(ふひと)の4子が興した家。武智麻呂(むちまろ)の南家(なんけ)、房前(ふささき)の北家(ほっけ)、宇合(うまかい)の式家、麻呂の京家。
- ふじわら‐じだい【▼藤原時代】
- 文化史・美術史からみた日本史の時代区分の一つ。遣唐(けんとう)使の廃止により、大陸の影響を脱し、藤原氏を中心として日本特有の文化が興った時代。平安時代後半の約300年間。
- ふじわら‐しんじ【▼藤原審▼爾】
- (1921-84)小説家。東京生まれ。青山学院高商部中退。清冽(せいれつ)なロマンチシズムを描いたが、のち風俗小説に転ずる。昭和27年(1952)『罪な女』で第27回直木賞受賞。作品『秋津温泉』『魔子を待つ間』など。
- ふじわら‐せいか【▼藤原▼惺▼窩】
- (1561-1619)江戸初期の儒者。幼時に出家、相国(しょうこく)寺で修行。朱子学を学び、還俗(げんぞく)して京学を開き近世儒学の祖とされた。門下に林羅山(はやしらざん)・松永尺五(まつながせきご)らを輩出。著書に『惺窩文集』など。
- ふじわら‐ともみ【▼藤原▼智▽美】
- (1955-)小説家。福岡県生まれ。明大卒。平成5年(1993)『運転士』で第107回芥川(あくたがわ)賞受賞。作品『王を撃て』など。
- ふじわら‐の‐あきすけ【▼藤原▽顕▼輔】
- (1090-1155)平安末期の歌人。六条家の顕季(あきすえ)の子。清輔の父。正三位左京大夫(さきょうのだいぶ)。崇徳(すとく)上皇の命を受けて『詞花和歌集』を撰進(せんしん)。歌風は平明で温雅。家集『左京大夫顕輔卿(きょう)集』。
- ふじわら‐の‐あきひら【▼藤原明▽衡】
- (989?-1066)平安中期の漢詩人。文章(もんじょう)博士を務め学者の家を確立。模範文集『本朝文粋(もんずい)』、書簡文集『明衡(めいごう)往来』を編纂(へんさん)、『新猿楽(さるがく)記』を著す。
- ふじわら‐の‐いえたか【▼藤原家▽隆】
- (1158-1237)鎌倉(かまくら)初期の歌人。『新古今和歌集』撰者(せんじゃ)の一人。従二位宮内卿(くないきょう)。壬生二品(みぶのにほん)と称された。藤原俊成(としなり)に和歌を学び、定家(さだいえ)と並称された。歌風は平明清澄な叙情性を特色とする。家集『壬二(みに)集』。ふじわらのかりゅう。
- ふじわら‐の‐うまかい【▼藤原▽宇▽合】
- (694-737)奈良初期の貴族。不比等(ふひと)の子。式家(しきけ)の祖。遣唐副使・式部卿(しきぶきょう)・参議などを歴任。疫病で死去。
- ふじわら‐の‐かねいえ【▼藤原兼家】
- (929-990)平安中期の貴族。師輔(もろすけ)の子。兄の兼通(かねみち)と関白(かんぱく)を争う。花山(かざん)天皇を退位させて外孫の一条(いちじょう)天皇を皇位につけ、摂政(せっしょう)・関白となった。
- ふじわら‐の‐かねすけ【▼藤原兼▼輔】
- (877-933)平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。堤中納言と称された。家集『兼輔集』、著書『聖徳(しょうとく)太子伝暦(でんりゃく)』。
- ふじわら‐の‐かねみち【▼藤原兼▽通】
- (925-977)平安中期の貴族。師輔(もろすけ)の子。弟の兼家(かねいえ)と関白(かんぱく)を争い、策謀により関白・太政(だいじょう)大臣となる。
- ふじわら‐の‐かまたり【▼藤原▼鎌足】
- (614-669)古代の政治家。藤原氏の祖。初名中臣鎌子(なかとみのかまこ)。中大兄(なかのおおえ)皇子を助けて蘇我(そが)氏を滅ぼし大化(たいか)の改新を推進。中臣鎌足。
- ふじわら‐の‐きよかわ【▼藤原清河】
- (?-?)奈良時代の貴族。房前(ふささき)の子。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年(752)遣唐大使として中国に渡る。唐朝に仕え客死。
- ふじわら‐の‐きよすけ【▼藤原清▼輔】
- (1104-77)平安末期の歌人。顕輔(あきすけ)の子。太皇太后宮大進(だいじん)。六条家の歌学の基礎を築いた。『続(しょく)詞花和歌集』を編む。歌学者としてすぐれ、御子左家(みこひだりけ)の藤原俊成(としなり)と対抗した。家集『清輔朝臣(あそん)集』、歌論『奥義抄(おうぎしょう)』『袋草紙(ふくろそうし)』『和歌初学抄』など。
- ふじわら‐の‐きよひら【▼藤原清▽衡】
- (1056-1128)平安末期の奥州(おうしゅう)の豪族。奥州藤原氏3代の祖。源義家(みなもとのよしいえ)に味方し、陸奥(むつ)・出羽(でわ)地方を掌握。根拠地平泉(ひらいずみ)に中尊(ちゅうそん)寺を建立。
- ふじわら‐の‐きんとう【▼藤原▽公▽任】
- (966-1041)平安中期の歌人・歌学者。関白太政(だいじょう)大臣頼忠(よりただ)の長男。四条大納言とよばれた。博学多才で一条朝文化の中心的存在。歌学書『新撰(しんせん)髄脳』『和歌九品(くほん)』、私撰集『拾遺抄』『金玉集』、『和漢朗詠集』撰、有職故実(ゆうそくこじつ)書『北山抄』、家集『公任集』など。
- ふじわら‐の‐くすこ【▼藤原▽薬子】
- (?-810)平安初期の女官。藤原種継(たねつぐ)の娘。娘が平城(へいぜい)天皇の妃(きさき)となり兄仲成(なかなり)とともに権勢をふるった。天皇譲位後の弘仁(こうにん)元年(810)その復位をはかったが(薬子の変)、失敗して自殺。
- ふじわら‐の‐これちか【▼藤原▼伊▽周】
- (974-1010)平安中期の公卿(くぎょう)。内大臣。関白(かんぱく)道隆(みちたか)の子。父の死後、叔父道兼(みちかね)・道長(みちなが)と関白を争って敗れ失脚、大宰府(だざいふ)に左遷されたが、まもなく旧官に復す。
- ふじわら‐の‐これふさ【▼藤原▼伊房】
- (1030-96)平安後期の能書家。世尊寺流の3代目。男性的な特色を示す。作品『藍紙本(あいがみぼん)万葉集』など。
- ふじわら‐の‐さだいえ【▼藤原定家】
- (1162-1241)鎌倉(かまくら)前期の歌人・古典学者。ふつう「ていか」とよぶ。御子左家(みこひだりけ)の俊成(としなり)の子。正二位権中納言。『新古今和歌集』撰者(せんじゃ)中もっとも有力な存在。『新勅撰和歌集』『小倉百人一首』を撰。妖艶(ようえん)華麗、巧緻(こうち)な歌風で新古今風を代表する。観念的・夢幻的・浪漫(ろうまん)的な作品が多い。歌学者としては「有心(うしん)体」を唱え、古典学者としては多くの古典を書写校合(きょうごう)して不朽の業績を残した。家集『拾遺愚草(しゅういぐそう)』、歌論書『近代秀歌』『詠歌大概』『毎月抄』、注釈『僻案抄(へきあんしょう)』、漢文日記『明月記』など。
- ふじわら‐の‐さだのぶ【▼藤原定▽信】
- (1088-1156ごろ)平安後期の書家。世尊寺流第5世。書風は流動的で奔放。作品『石山切(いしやまぎれ)』『白氏詩巻識語』。
- ふじわら‐の‐さねさだ【▼藤原▽実定】
- (1139-91)平安末期の歌人。後徳大寺左大臣と称された。自撰(じせん)家集『林下(りんげ)集』。
- ふじわら‐の‐さねすけ【▼藤原▽実▽資】
- (957-1046)平安中期の貴族。実頼(さねより)の養子。右大臣。有職故実(ゆうそくこじつ)に通じ、実頼とともに小野宮流を完成。日記『小右記(しょうゆうき)』。
- ふじわら‐の‐さねより【▼藤原▽実▽頼】
- (900-970)平安中期の貴族。忠平(ただひら)の子。安和(あんな)の変で源高明(みなもとのたかあきら)を退けて摂政(せっしょう)となり、藤原氏全盛の基礎を築く。
- ふじわら‐の‐すけまさ【▼藤原▽佐▽理】
- (944-998)平安中期の能書家。ふつう「さり」とよぶ。三蹟(さんせき)の一人。作品『詩懐紙』『離洛帖(りらくじょう)』など。
- ふじわら‐の‐すみとも【▼藤原▽純友】
- (?-941)平安中期の地方武士。海賊の頭目。伊予掾(いよのじょう)であったが任地に土着。海賊を組織して瀬戸内海を制圧。東国の平将門(たいらのまさかど)と同時期に反乱を起こすが(承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱)捕らえられて処刑。
- ふじわら‐の‐たかのぶ【▼藤原▽隆▽信】
- (1142-1205)平安末・鎌倉(かまくら)初期の画家・歌人。似せ絵の先駆者で名手。廷臣として諸職を歴任。のち出家。作品『源頼朝(みなもとのよりとも)像』『平重盛(たいらのしげもり)像』、家集『藤原隆信朝臣(あそん)歌集』。
- ふじわら‐の‐たかよし【▼藤原▽隆▽能】
- (?-?)平安後期の画家。鳥羽(とば)金剛心院扉絵を描く。『源氏物語絵巻』の筆者と伝えられる。
- ふじわら‐の‐ただざね【▼藤原▽忠▽実】
- (1078-1162)平安末期の公卿(くぎょう)。関白・摂政を歴任するが、娘泰子の入内(じゅだい)に関し白河法皇の怒りに触れ辞任。法皇の死後政界に復帰するが、保元(ほうげん)の乱に敗れ籠居(ろうきょ)。
- ふじわら‐の‐ただひら【▼藤原▽忠平】
- (880-949)平安中期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)・太政(だいじょう)大臣・関白(かんぱく)を歴任。基経(もとつね)の子。平将門(たいらのまさかど)の乱、藤原純友(すみとも)の乱という東西の難局に対処。兄時平(ときひら)の遺業を継いで「延喜格式(えんぎきゃくしき)」を完成。日記『貞信公記(ていしんこうき)』。
- ふじわら‐の‐ただみち【▼藤原▽忠▽通】
- (1097-1164)平安末期の貴族。忠実(ただざね)の子。摂政(せっしょう)・関白、太政大臣(だいじょうだいじん)。保元(ほうげん)の乱で後白河(ごしらかわ)天皇方。詩歌・書にすぐれる。日記『法性寺(ほっしょうじ)関白記』。
- ふじわら‐の‐たねつぐ【▼藤原種継】
- (737-785)奈良末期・平安初期の貴族。宇合(うまかい)の孫。中納言(ちゅうなごん)。長岡(ながおか)遷都を計画し、その造営の指揮にあたったが、専横を憎まれ暗殺された。
- ふじわら‐の‐ためいえ【▼藤原▽為家】
- (1198-1275)鎌倉(かまくら)前期の歌人。定家の子。阿仏尼(あぶつに)は側室。正二位権大納言。『続後撰(しょくごせん)和歌集』撰者(せんじゃ)。歌風は平明で温和。家集『為家集』、歌論書『詠歌一体』など。
- ふじわら‐の‐ためうじ【▼藤原▽為氏】
- (1222-86)鎌倉(かまくら)中期の歌人。為家の長子。権大納言。二条家の祖。継母阿仏尼(あぶつに)らと所領を争った。『続(しょく)拾遺和歌集』撰者(せんじゃ)。私撰集『新和歌集』、家集『大納言為氏卿(きょう)集』。
- ふじわら‐の‐ためさだ【▼藤原▽為定】
- (1293-1360)鎌倉(かまくら)末期の歌人。『続(しょく)後拾遺和歌集』『新千載和歌集』撰者(せんじゃ)。家集『大納言為定卿(きょう)集』。
- ふじわら‐の‐ためのり【▼藤原▽為▽教】
- (1227-79)鎌倉(かまくら)中期の歌人。為家の子。為兼の父。京極家(毘沙門(びしゃもん)堂家)の祖。
- ふじわら‐の‐ときひら【▼藤原時平】
- (871-909)平安前期の貴族。基経(もとつね)の子。左大臣。菅原道真(すがわらのみちざね)を大宰府(だざいふ)に左遷し、藤原氏の地位を固めた。『日本三代実録』『延喜式(えんぎしき)』の編纂(へんさん)に参画。
- ふじわら‐の‐としなり【▼藤原▽俊成】
- (1114-1204)平安末・鎌倉(かまくら)初期の歌人。ふつう「しゅんぜい」とよぶ。御子左家(みこひだりけ)の俊忠(としただ)の子。正三位皇太后宮大夫(だいぶ)。定家(さだいえ)の父。『千載和歌集』を撰進(せんしん)。歌風は温雅で叙情的傾向が強く、幽玄体を理想とした。鎌倉初期の和歌界を指導。歌の家としての御子左家の基礎を築いた。家集『長秋詠藻(えいそう)』、歌論書『古来風体抄(ふうていしょう)』、歌学書『万葉集時代考』など。
- ふじわらのとしなり‐の‐むすめ【▼藤原▽俊成▽女】
- (1171ごろ-1252ごろ)鎌倉(かまくら)初期の歌人。俊成の孫で養女となる。歌風は艶麗(えんれい)で、新古今時代の代表的女流歌人。家集『俊成卿(きょう)女集』。
- ふじわら‐の‐なかなり【▼藤原仲成】
- (774-810)平安初期の公卿(くぎょう)。妹薬子(くすこ)が平城(へいぜい)天皇の寵愛(ちょうあい)を受けたため権勢を振るうが、薬子の変で嵯峨(さが)天皇側に殺される。
- ふじわら‐の‐なかひら【▼藤原仲平】
- (875-945)平安中期の公卿(くぎょう)。左大臣。基経(もとつね)の子。時平(ときひら)の弟、忠平(ただひら)の兄。
- ふじわら‐の‐なかまろ【▼藤原仲麻▼呂】
- (706-764)奈良時代の貴族。武智麻呂(むちまろ)の子。光明(こうみょう)皇后の信任を得て勢力をふるう。養老律令(ようろうりつりょう)を施行。淳仁(じゅんにん)天皇から恵美押勝(えみのおしかつ)の名を賜る。のち太政(だいじょう)大臣となったが、孝謙(こうけん)上皇・道鏡(どうきょう)と対立、挙兵(恵美押勝の乱)して近江(おうみ)で敗死。
- ふじわら‐の‐なりちか【▼藤原成▽親】
- (1138-77)平安末期の貴族。後白河(ごしらかわ)上皇の寵臣(ちょうしん)。平治(へいじ)の乱に藤原信頼(のぶより)につき敗れたが許され、のち鹿ケ谷(ししがたに)事件に関係し、捕らえられて殺される。
- ふじわら‐の‐のぶざね【▼藤原▽信▽実】
- (1176-1265ごろ)鎌倉(かまくら)時代の代表的肖像画家・歌人。父隆信(たかのぶ)の画風を受け継ぎ似せ絵の様式を確立。作品『後鳥羽(ごとば)上皇像(俗体)』『随身庭騎(ずいじんていき)絵巻』、家集『藤原信実朝臣(あそん)歌集』など。
- ふじわら‐の‐のぶふさ【▼藤原▽宣房】
- (1258-?)鎌倉(かまくら)末・南北朝期の公卿(くぎょう)。権大納言(ごんだいなごん)。資通の子。後醍醐(ごだいご)天皇の親政を補佐し、建武(けんむ)新政では雑訴(ざっそ)決断所の頭人(とうにん)。万里小路(までのこうじ)宣房。
- ふじわら‐の‐のぶより【▼藤原▽信▽頼】
- (1133-59)平安末期の貴族。後白河(ごしらかわ)法皇から厚く信任され、平治(へいじ)の乱で源義朝(みなもとのよしとも)と結んで藤原通憲(みちのり)を殺害。のち平清盛(たいらのきよもり)に捕らえられ刑死。
- ふじわら‐の‐のりかね【▼藤原▽範兼】
- (1107-65)平安末期の歌人・歌学者。歌学書『和歌童蒙(どうもう)抄』、私撰(しせん)集『後六々撰(のちのろくろくせん)』など。
- ふじわら‐の‐はまなり【▼藤原浜成】
- (724-790)奈良末期の歌人。不比等(ふひと)の孫。著書『歌経標式(かきょうひょうしき)』は最古の歌学書で和歌四式の一つ。
- ふじわら‐の‐ひでさと【▼藤原▽秀▽郷】
- (?-?)平安中期、下野(しもつけ)の豪族。俗称俵藤太(たわらとうだ)、平将門(たいらのまさかど)の乱を鎮圧した功により鎮守府(ちんじゅふ)将軍。弓術に秀れ、ムカデ退治の伝説で知られる。
- ふじわら‐の‐ひでひら【▼藤原▽秀▽衡】
- (?-1187)平安末期の奥州(おうしゅう)の豪族。基衡(もとひら)の子。鎮守府(ちんじゅふ)将軍。奥州藤原氏最盛期を築いた。源義経(みなもとのよしつね)を庇護(ひご)し、頼朝に対抗。
- ふじわら‐の‐ひろつぐ【▼藤原広▽嗣】
- (?-740)奈良中期の公卿(くぎょう)。宇合(うまかい)の子。藤原不比等(ふひと)の4子が病没後、大宰少弐(だざいのしょうに)に左遷。天平(てんぴょう)12年(740)玄ぼう(げんぼう)・吉備真備(きびのまきび)らの排除を要求し大宰府で挙兵したが(藤原広嗣の乱)、捕らえられ処刑された。
- ふじわら‐の‐ふささき【▼藤原房▽前】
- (681-737)奈良初期の貴族。不比等(ふひと)の子。北家(ほっけ)の祖。内臣(うちつおみ)として皇室と密着して藤原氏の勢力を強めた。
- ふじわら‐の‐ふひと【▼藤原不比▽等】
- (659-720)奈良初期の貴族。鎌足(かまたり)の子。右大臣。光明(こうみょう)皇后の父。大宝律令(たいほうりつりょう)・養老律令を定め、律令政治を推進。藤原氏繁栄の基礎を固めた。藤原氏四家の祖。
- ふじわら‐の‐ふゆつぐ【▼藤原冬▽嗣】
- (775-826)平安初期の貴族。文徳(もんとく)天皇の外祖父。蔵人所(くろうどどころ)の新設により初の蔵人頭(くろうどのとう)となり、のち左大臣。『弘仁格(こうにんきゃく)』を撰修(せんしゅう)。勧学院を設置。
- ふじわら‐の‐まろ【▼藤原麻▼呂】
- (695?-737)奈良初期の貴族。不比等(ふひと)の子。京家の祖。参議、兵部卿(ひょうぶきょう)を歴任。奥州(おうしゅう)の蝦夷(えぞ)討伐を指揮。
- ふじわら‐の‐みちかね【▼藤原道兼】
- (961-995)平安中期の公卿(くぎょう)。兼家(かねいえ)の子、道長(みちなが)の兄。兄道隆(みちたか)にかわって関白に就任後、7日で死去。
- ふじわら‐の‐みちたか【▼藤原道▽隆】
- (953-995)平安中期の公卿(くぎょう)。兼家(かねいえ)の子、道兼(みちかね)・道長(みちなが)の兄。父兼家にかわって関白・摂政(せっしょう)。一条(いちじょう)天皇皇后定子(ていし)はその娘。
- ふじわらのみちつな‐の‐はは【▼藤原道綱母】
- (936?-995?)平安中期の歌人。倫寧(ともやす)の娘。藤原兼家と結婚、道綱を生む。女流日記文学の先駆となった『蜻蛉(かげろう)日記』の作者。中古三十六歌仙の一人。家集『傅大納言殿(ふのだいなごんどの)母上集』『道綱母集』。
- ふじわら‐の‐みちとし【▼藤原▽通▽俊】
- (1047-99)平安後期の歌人。『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』の撰者(せんじゃ)。
- ふじわら‐の‐みちなが【▼藤原道長】
- (966-1027)平安中期の貴族。兼家(かねいえ)の子。3人の娘を一条・三条・後一条天皇の后(きさき)とし、後一条・後朱雀(ごすざく)・後冷泉(ごれいぜい)天皇の外戚(がいせき)として摂政(せっしょう)となり藤原氏全盛期を現出。自ら建立した法成寺(ほうじょうじ)に住まい、御堂関白(みどうかんぱく)・法成寺摂政と称される。日記『御堂関白記』。
- ふじわら‐の‐むちまろ【▼藤原武▼智麻▼呂】
- (680-737)奈良初期の貴族。不比等(ふひと)の子。仲麻呂(なかまろ)の父。南家の祖。長屋王(ながやおう)の変ののち大納言(だいなごん)に昇進。左大臣となるが即日死去。
- ふじわら‐の‐もとつね【▼藤原基▽経】
- (836-891)平安前期の貴族。良房(よしふさ)の養子。陽成(ようぜい)天皇の摂政(せっしょう)・太政大臣(だいじょうだいじん)。応天門(おうてんもん)の変で藤原氏の勢力を拡大。宇多(うだ)天皇のとき阿衡(あこう)事件を起こし初の関白となる。『文徳(もんとく)実録』を撰(せん)。
- ふじわら‐の‐もととし【▼藤原基▽俊】
- (1060ごろ-1142)平安後期の歌人。保守的傾向をとり、革新的歌風の源俊頼(みなもとのとしより)と対抗した院政期和歌の中心人物。中古六歌仙の一人。俊成(としなり)を指導した。家集『藤原基俊集』、撰集(せんしゅう)『新撰朗詠集』など。
- ふじわら‐の‐もとひら【▼藤原基▽衡】
- (?-?)平安末期の奥州(おうしゅう)の豪族。清衡(きよひら)の子、秀衡(ひでひら)の父。陸奥(むつ)国6郡を支配し、毛越(もうつ)寺を再興。
- ふじわら‐の‐ももかわ【▼藤原▽百川】
- (732-779)奈良後期の貴族。宇合(うまかい)の子。道鏡(どうきょう)左遷を画策。称徳(しょうとく)天皇没後、光仁(こうにん)天皇を擁立し、藤原氏の勢力を回復。
- ふじわら‐の‐もろすけ【▼藤原▽師▼輔】
- (908-960)平安中期の公卿(くぎょう)。右大臣。忠平(ただひら)の子。その娘安子が村上(むらかみ)天皇の皇后となって冷泉(れいぜい)・円融(えんゆう)両天皇を生み、外祖父として権勢を得る。子兼通(かねみち)・兼家(かねいえ)、孫道長(みちなが)らは摂関(せっかん)家の祖。
- ふじわら‐の‐やすひら【▼藤原▽泰▽衡】
- (1155-89)鎌倉(かまくら)初期の奥州(おうしゅう)の豪族。秀衡(ひでひら)の子。初め源義経(みなもとのよしつね)を庇護(ひご)したが、源頼朝(よりとも)に圧迫されてこれを殺害。のち頼朝に攻められ滅亡。
- ふじわら‐の‐ゆきなり【▼藤原行成】
- (972-1028)平安中期の能書家。ふつう「こうぜい」とよぶ。権大納言(ごんだいなごん)。和様書風を完成。三蹟(さんせき)の一人で権蹟(ごんせき)といわれる。世尊寺流書道の祖。
- ふじわら‐の‐よしつね【▼藤原良▽経】
- (1169-1206)鎌倉(かまくら)初期の政治家、歌人・漢詩人。九条兼実(くじょうかねざね)の子。摂政(せっしょう)、太政(だいじょう)大臣。歌人としては『新古今和歌集』の代表歌人。書にもすぐれ「後京極(ごきょうごく)流」の祖。家集『秋篠月清(あきしのげっせい)集』など。
- ふじわら‐の‐よしふさ【▼藤原良房】
- (804-872)平安前期の貴族。冬嗣(ふゆつぐ)の子。文徳(もんとく)天皇を皇位につけ、臣下として初の太政(だいじょう)大臣。娘の明子(めいし)が生んだ清和(せいわ)天皇即位後、臣下として初の摂政(せっしょう)。
- ふじわら‐の‐よりつね【▼藤原▽頼▽経】
- (1218-56)鎌倉(かまくら)幕府の4代将軍。摂政(せっしょう)九条道家(くじょうみちいえ)の子。源実朝(みなもとのさねとも)暗殺後、嘉禄(かろく)2年(1226)将軍となった。寛元(かんげん)2年(1244)北条(ほうじょう)氏に強要され子頼嗣(よりつぐ)に将軍職を譲り出家。九条頼経。
- ふじわら‐の‐よりなが【▼藤原▽頼長】
- (1120-56)平安末期の貴族。忠実(ただざね)の子。左大臣。和漢の才に富む。兄の忠通(ただみち)と勢力を争い、氏長者(うじのちょうじゃ)の地位を奪った。保元(ほうげん)の乱で崇徳(すとく)上皇と結び敗死。日記『台記(たいき)』。
- ふじわら‐の‐よりみち【▼藤原▽頼▽通】
- (992-1074)平安中期の貴族。道長(みちなが)の長子。後一条・後朱雀(ごすざく)・後冷泉(ごれいぜい)天皇の摂政(せっしょう)・関白。後三条天皇のとき不遇となり出家。平等院を建立。
- ふじわら‐ぶんか【▼藤原文化】
- 平安中期、藤原氏の摂関(せっかん)政治期の文化。11世紀の藤原道長(みちなが)・頼通(よりみち)の時代を最盛期とする文化で、唐(とう)風文化から国風文化を生みだした。
- ふじわら‐よしえ【▼藤原▽義江】
- (1898-1976)テノール歌手。日本のオペラ運動の開拓者。昭和9年(1934)藤原歌劇団を創立。
- ふ‐しん【不信】(名・形動)
- ①まごころがないこと・さま。faithlessness
- ②信用しないこと・さま。mistrust〈用例〉〜の目で見られる。〜を買う。
- ③信仰心がないこと・さま。不信心。impiety〈用例〉〜の徒。
- ふ‐しん【不振】(名・形動)
- 勢い・商売などが、ふるわないこと・さま。さかんでないこと・さま。slump〈用例〉売れ行き〜。
- ふ‐しん【不審】(名・形動)
- ①疑わしいこと・さま。doubt〈用例〉挙動〜。
- ②古く禅宗で、「いかがですか」程度の意味で用いられたあいさつ語。〈派生〉ふしんが・る(五自)ふしんげ(形動)ふしんさ(名)
- 不審を抱く(ふしんをいだく)
- 不審に思う。あやしく思う。have a suspicion
- ふ‐しん【浮心】
- 液体に浮かぶ物体にはたらく浮力の中心。center of buoyancy
- ふ‐しん【普請】(名・サ変他)
- 《「しん」は唐音》
- ①《仏教語》禅宗で、広く世間に請(こ)うて労役などに従事してもらうこと。
- ②《転じて》道路・橋などの土木工事。また、建築工事一般。〈用例〉道〜。
- ふ‐しん【腐心】(名・サ変自)
- どうしようかと心を悩ますこと。苦心。心痛。hardship; mental agony heart〈用例〉対策に〜する。
- ふしん【▼阜新】
- 中国、遼寧(りょうねい)省中部の鉱工業都市。海州(かいしゅう)露天掘り鉱があり、良質の燃料炭を産出する。火力発電所を中心に、近年鉱工業の発達が著しい。人口74.1万(1991)。フーシン。
- ふ‐じん【不仁】(名・形動)
- 仁の道にそむくこと・さま。情愛のないこと・さま。無情。
- ふ‐じん【不尽】
- 《手紙の終わりに用いる語》じゅうぶん思いをつくしてはいませんが。不悉(ふしつ)。
- ふ‐じん【夫人】
- ①他人の妻の敬称。Mrs.; Madam〈用例〉〜同伴。
- ②昔中国で、天子・諸侯の妻。
- ③后(きさき)の次位の後宮の女性。
- ④貴人の正妻。wife
- ふ‐じん【布陣】(名・サ変自)
- 陣を構えること。陣立て。battle formation
- ふ‐じん【婦人】
- 成年以上の女性。lady; woman
- ぶ‐しん【武神】
- 戦う者を守護し助ける神。いくさの神。弓矢の神。Mars
- ぶ‐じん【武人】
- 武士。軍人。soldier〈対義〉文人。
- ふしん‐あん【不審▼庵】
- 京都市上京区小川通り寺ノ内の表千家(おもてせんけ)家元邸内にある茶室。千利休(せんのりきゅう)の建てたものを千少庵(せんのしょうあん)が復興。また、表千家家元の通称。
- ふじん‐か【婦人科】
- 婦人病や更年期障害など、婦人に固有の生理・病理を扱う臨床専門医科。gynecology
- ふじん‐かい【婦人会】
- 社会活動・学習・レクリエーションなどを目的として組織される女性の団体。women's association
- ふしん‐がみ【不審紙】
- 書物の中の疑問の箇所にはさむ、あるいは張る紙。付け紙。
- ふじん‐けいさつかん【婦人警察官】
- 婦人の警察官。日本では昭和21年(1946)創設。婦警。policewoman
- ふじん‐さんせいけん【婦人参政権】
- 婦人が選挙権と被選挙権をもち、政治に参加する権利。日本では昭和20年(1945)12月に認められ、翌年4月から行使された。woman suffrage
- ふじんさんせいけん‐うんどう【婦人参政権運動】
- 女性の政治活動の自由・政治的権利の確立をめざす社会運動。明治39年(1906)景山英子(かげやまひでこ)らの治安警察法第5条撤廃(てっぱい)運動に始まる。大正9年(1920)には平塚らいてう・市川房枝らが新婦人協会を組織し、婦人参政権を要求する運動を展開。
- ふじん‐しゅうかん【婦人週間】
- 昭和21年(1946)4月10日に初めて婦人参政権が行使されたことを記念し、同24年(1949)以来毎年この日から1週間行われる行事。
- ふ‐しんじん【不信心】(名・形動)
- 神仏を信ずる心のないこと・さま。impiety
- ふしん‐じんもん【不審尋問】
- 挙動のあやしい者に警察官が行う→職務質問の旧称。
- ふ‐しんせつ【不親切】(名・形動)
- 親切でないこと・さま。unkindness〈派生〉ふしんせつさ(名)
- ふ‐しんにん【不信任】
- 信任しないこと。nonconfidence〈用例〉内閣〜。
- ふしんにん‐あん【不信任案】
- 信任しない旨を議決する案。憲法では内閣不信任、地方自治法では長の不信任について規定している。nonconfidence motion
- ふじん‐の‐ひ【婦人の日】
- ①昭和21年(1946)日本で婦人参政権が認められて最初の国政選挙が行われた記念日。4月10日。男女の平等と婦人の地位向上をめざす行事が行われる。
- ②→国際婦人デー。
- ふしん‐ばん【不寝番】
- 一晩じゅう寝ないで番をすること。また、その役。寝ずの番。night watch
- ふしん‐び【不審火】
- 原因に疑わしい点のある火事。suspected case of arson
- ふじん‐びょう【婦人病】
- 婦人の生殖器、とくに、子宮の病気。women's diseases
- ふじん‐もんだい【婦人問題】
- 女性の地位・教育・権利・職業などに関する社会問題。法制度の面よりも慣行などに問題が多く、解決を困難にしている。women's problem
- ふじん‐ろうどう【婦人労働】
- 婦人が雇用されて行う労働。女子労働。woman's labor
- ふじんろん【婦人論】
- 《原題Die Frau und der Sozialismus(ドイツ)》ドイツの社会主義者ベーベルの著書。1879年刊。マルクス主義的な女性解放理論の古典。婦人の地位や隷属について語り、婦人の真の解放は社会主義革命によってのみ可能であるとした。